みき演劇セミナー
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今までの三木ではあまり盛んでなかった、総合舞台芸術の象徴ともいえる演劇を、市民参加による形で平成8年にスタートしました。最初の2年間は県立ピッコロ劇団と共同で開催。その後、独自で三木ブランドを立ち上げるべく、平成15年には郷土を題材にした創作劇「二皇子の里」の台本完成を皮切りに「わがまちシリーズ」を継続。
"見つめ直そうふるさとを"テーマに今後も走り続けます。
三木金物まつりに出演しました 2024/11/03
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籠城から一年と十月がたちました。長治は城内の有様を 見、このような事に至ったのは、我が身の不徳である。 城兵、領民の命を助けるのが城主長治の使命と思い、 皆々と別れの宴を催したのでございます。
宴の後には、長冶と、妻、照子が辞世の句を吟じ、今生の 名残に、舞う姿がありました。
別所長治、妻照子の舞
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三木金物まつりに出演しました 2024/11/03
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別所勢は粘り強く戦いました。 しかし淡河、志方、神吉、野口などの支城が次々に落城し、丹生山も焼討ちに合い、平田の戦いにも敗れ、とうとう別所吉親の守る城までも、攻め落とされたのでございます。 三木城のみとなった別所勢は、城内の兵糧ことごとく尽き、 雑草までも食べ、ついには壁の藁も腹におさめ、命をつないでいくのでございます。城内は女子供の区別なく城を思い、 皆の心意気は、ひとつでありました。 女達は、戦うことのできい悔しさを胸に舞を納めるのでありました。
なぎなたの舞
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三木金物まつりに出演しました 2024/11/03
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秀吉軍は、三木城を一気に攻め落 とすのは困難と思い、三木城を孤立させ支えの城を一つ 一つつぶしていく、兵糧攻めの策に出たのでございます。
兵糧攻めの踊り
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三木金物まつりに出演しました 2024/11/03
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いかに信長公とて、武力のみで天下を治めてはならぬ。 我が別所家は、播磨の平安を守るため、織田の軍勢を 向かえ討つ!戦うぞ、信長と戦うぞ!
殺陣
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三木金物まつりに出演しました 2024/11/03
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時は、戦国の世。 天下布武を唱え、全国制覇を目指す織田信長は、羽柴秀吉を総大将とする軍勢を播磨の地へと、進めてまいりました。 この時、三木城主 別所長冶 若干22歳、織田につくべきか、またまた毛利か、 重棟と吉親の狭間に立ち、悩みに悩み、考えた末に長冶が下した決断は!
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